いそめまゆの主婦日記

育児、家事についてかいてみたり。

父の葬儀を終えて【闘病と息子のメンタルケア】

こんにちは、いそめまゆです。

 

ブログを更新できなかった期間、私の父が肝臓ガンで亡くなりました。

63歳という若さでした。

亡くなってから今日まで、苦しさと悲しさでいっぱいで、

体の何かが欠けてしまったような。

ぽっかり穴が開いたような。

喪失感と共に本当にもう会えなくなってしまったのか、現実を受け入れられない自分がいました。

 

またいつものように休日になると「何してるのー?」なんて連絡が来るんじゃないか

 実家に帰った際、夕方になると仕事を終えた父が帰ってくるんじゃないか

 まだどこかに存在してる様な気がしては

「あぁやっぱりいないんだ」と落胆する日々です。

 

子供がいることで、毎日家事育児に追われているので少し気は紛れるんですけどね。

ふと考え事をする時間ができると、どうしても涙が溢れてきます。

父の闘病についてや、息子のメンタルケア、育児と看病について少し書いていこうと思います。

(この先、父の看取りのことも記載しています。)

 

 

肝臓がん発覚

C型肝炎を患っていた父は、以前から専門の病院で定期的に検査を受けていました。

数年前の春先、母から連絡があり、父の検査結果を聞きに来てほしいといわれ、その際医者から、父が”肝臓がん”だということを告げられました。

父はもちろん、家族みんな言葉が出なかった。

「移植はできるの?」

「余命はもう先生はわかっているの?」

「この先どうなるの?」

沢山の疑問が頭をよぎりました。

実際には移植のことだけ聞きました。これについては「難しい」とのこと。 

薬や手術で治していくことになりました。

まずは肝臓の大部分を切除する手術をすることに。

数時間に及ぶ大変な手術なので、待合室では落ち着かず、不安でたまりません。

ですが無事手術も終えて数日入院後、無事退院できました。

ここから父の長い闘病が始まります。

 

長い闘病期間と孫とおじいちゃんの時間

最初の手術から父は何度もガンの治療を受けに通い、時には入退院も繰り返しました。

治療は主に抗がん剤治療や切除手術、カテーテル、ラジオ波で焼いたりです。

父は本当にがんを患っているの?というくらい元気で(無理をしていたのもあると思いますが)仕事も休まずに通い、60歳で定年退職を迎えました。

その後も同じ職場で働きながら、息子と私をよく遊びに連れだしてくれました。

 

連れていってくれた場所は数知れず。

買い物や家で遊んだ回数を数えるとキリがないほど。

息子に沢山の経験と遊びの楽しさ、自然の美しさを教えてくれました。

春は桜を見にお花見

夏は海や川で釣り

秋は公園や動物園に

冬はデパートで室内遊園地

沢山思い出があります。どこに行っても父との思い出がある程に。

私は会いに行けるときは極力会いにいきました。

父と母も同じ気持ちだったと思います。今この瞬間、時間を大切にしたい。後悔はしたくない。

そんな気持ちです。

 

病状悪化

父の体調が目に見えて悪くなったのは今年の夏ごろでした。

ガンは肝臓から膵臓やリンパに転移していたのです。

 

娘が産まれて数か月経ったころ、それまで標準体型だった父の体はとてもやせ細り、お腹は逆に腹水がたまっていました。

一日に飲まないといけない薬が増え、痛み止めもより強力な医療用麻薬に変わりました。

今思えば、もうこのころには緩和ケアを考えるころだったと思います。

ですが家族全員余命を知らされておらず、怖くて聞くこともできませんでした。

余命を告げられると、父は生きる望みをなくしてしまうのではないか。

そんな想いでした。

実家に遊びに行き、いつものように子供と遊んでもらいご飯を一緒に食べた数日後。

 

「お父さん、長期で入院することになった。退院の目処はたってない」

 

母からの連絡。

これは何を意味するのか。

私にできることはないか。

毎日毎日考えたけど答えは出ない。病気が、がんが只々治ってほしい。

それだけです。

 

幼い子供の育児と父の看病

父の入院が始まりました。

母はそれまで働いていた仕事を辞め、父の看病に専念。

30分かけて毎日病院にお見舞いに行き、私も車で1時間弱の病院へ極力行きました。

ただ病院は子供の面会NGなので、子供の預け先に困りました。

上の子は園に預けられますが、下の子の預け先がない。

園の一時保育も、前月にまとめて利用期間を提出するので、急な看病が必要なときには対応できませんでした。

なので友人に子供をみてもらったり

病院の駐車場の車の中で母にみてもらってる間に面会したり。

なかなか長時間会うことはできませんでした。

これがすごくもどかしかったなぁ。

実家にしばらく帰ろうかとも考えましたが、長期間園をおやすみすることもできないし、なにしろ先が見えない。

どれだけ入院するかもわからず、動くに動けなかったのが現状です。

母も毎日の看病とプレッシャーや不安で日に日にやせ細り、支えている側も心配になりました。

 

一時退院

そんなある日、父の強い希望で自宅に帰れることになりました。

沢山の痛み止めを服用しながらですが自由にうごけることを喜んでいたようです。

 

帰宅後、母から「遊ぶ元気はないから○○ちゃん(息子)に会うことはできないけど、〇〇(私)が来れるなら会いに来てほしい」と連絡がありました。

私は主人に子供を見てもらい、実家へ。

どこか外へ行きたいということで、近所の複合施設に向かいました。

3人で出かけたのは私の子供が生まれてから初めてでした。

普通に買い物をして、父の洋服を見たり。

いつもと変わらないと思いましたが、何度か痛みに襲われ手をついて痛みに耐えてる姿が見られました。

このあとご飯を食べる予定でしたが父の体調が優れなく帰宅。

 

でもこの時、母も私も父の異変に気付いていました。

ろれつが回っていない時があり、会話がしづらそうだったのです。

その数日後父は再び入院。病状は深刻だということでした。

 

再入院から看取りまで

再び入院が始まります。

ハッキリ言われたわけではないですが、このころから積極的な治療(手術や抗がん剤等)を受けられなくなりました。

ただひたすら痛みとの闘いです。痛み止めを入れた点滴で抑えていると聞きました。

それまで意識には何も問題はなかったけれど

看護師さんから「少し混乱しているからご家族の方がそばにいてあげると落ち着くかも」ということで

この日から24時間体制で家族の看護が始まりました。

 

末期がんの父の看病は想像以上に大変でした。

主に看ていた母が限界を迎えたので、主人に子供を任せ、私が看病に行きました。

会話ができたのはこの日が最後です。

この時行かなければ父と話すことはできなくなっていたと思います。

 

それから数日で容体は悪化し、最後の時を迎えました。

 

「お父さん一両日かもって回診時に言われた」

 

亡くなる日の早朝に母から連絡が来ました。

「とにかくすぐに向かいたい」

息子は園に預け、娘を連れて病院に急ぎました。

部屋に入ると涙を流した家族の姿と、酸素マスクをつけて寝ている父の姿がありました。

しゃべりかけても反応はありませんが手を握ると温かかった。

 

最後まで希望を捨てずにずっと頑張っていた父の姿を見て

「私も頑張って生きるからね、そっちに行くまで待っててね。」と伝えました。

 

父は家族がそろうのを待っていてくれたかのように、私が着いてから数分で息を引き取りました。

 

 

息子のメンタルケア

息子がおじいちゃんの死を理解したのはお葬式の日。

それまで入院していることは伝えていたけど、どういう状態かというのはわかっていなかったと思います。

最後の数か月は子供の相手ができる元気もない位に弱っていたので、ずっと会えなかったのです。

 

葬儀が始まる直前に、息子が棺の中のおじいちゃんを見て声をあげて泣き出しました。

元気なおじいちゃんばかりを見てきたので本当にショックだったと思います。

小さな腕に沢山お花を抱えて一生懸命棺に入れていました。

 

その日の晩も、次の日も、数日は夜になると「おじいちゃんがいなくて悲しい」と泣くのです。

おばあちゃんに電話するときも「おじいちゃんに会いたい」と二人で泣いていました。

息子の心の傷はかなり深いことを知った私は、私なりに何度も励まし、心のケアを図りました。

「悲しいよね。」と気持ちに寄り添い、一緒に涙を流しました。

「でも残された私たちも前を向いて強く生きていかないといけないよ」と。

 

数日わんわんないていた息子も、ある日突然に

「もう泣かない」

と言ったのです。

その日から本当に泣く回数が減り、私が時折涙するときも

「おじいちゃんはお空で見ててくれるから大丈夫だよ!」と

私が励まされるくらいに強くなっていました。

 

「おじいちゃんにもらった思い出を大事に、これからもママと頑張ろうね。」

そんな約束をしました。

 

おわりに

父のガン発覚から今日まで「後悔はしたくない」この一心でいました。

それでも「こうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」と、後悔は尽きないですね。

ただ沢山思い出を残し、そして最期をみとれたことは本当によかったと思います。

あと数分遅かったら温かい手を握ることはできなかったのですから。

 

今はまだやはり寂しさがこみあげますが、家族みんな前を向いております。

人の死はいつくるかわかりません。

大切な人との時間が一秒でも長く続きますように。

元気であるうちに沢山の幸せを感じることができますように。

 

長文でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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